アメリカン・システムの今日における重要性

1832年、著名な政治家であるヘンリー・クレイは、初代財務長官のアレクサンダー・ハミルトンによって、大英帝国のアダム・スミス率いる「自由貿易主義」による“略奪”に対抗すべく設立された名高い経済形態を、「アメリカン・システム(American System of Political Economy)」と命名しました。このアメリカン・システムは以下のような特性を持っています。

1)国立銀行:農業や産業に必要な長期的融資を可能とし、市場を上回る権威を持つ。
2)それによる国内への投資と発展:ダムや運河、道路、線路等、いわゆるインフラ整備を充実させる。
3)国家の発育に必要不可欠である産業を優先的に保護していく関税制度を適応する。

ドイツ出身の経済学者フリードリッヒ・リスト(1789-1846)、アイルランド生まれのマシュー・ケリー(1760年-1839)と彼の息子であるヘンリー・C・ケリー(1793-1879)たちは、このアメリカン・システムに深く関与し、その名を世界に知らしめたのです。米国大統領では、ジョージ・ワシントン、ジョン・クインシー・アダムス、アブラハム・リンカーン、ウィリアム・マッキンリー、フランクリン・ローズベルトなどが主にこの経済システムを掲げ、その正当性を確実なものにしています。

1932 : アメリカ合衆国史


アメリカのあるべき姿とは?

今日、アメリカ合衆国はその根源にある使命を忘れ、あたかも嘗て七つの海を征した大英帝国のごとく振舞っているように思われるかもしれません。しかし、アメリカこそ西洋文明が為しえなかった”共和制”を現実のものとし、ヨーロッパ文明に蔓延し続ける”帝国主義”に終止符を打つことを使命として生まれた世界史上初の共和国(Republic)なのです。西洋の伝統である寡頭制(Oligarchy)を掲げる帝国主義者たちはこの新たな脅威を素直に受け入れるはずもなく、アメリカ誕生以後、絶えることなく戦争、共謀、スパイ、脅迫や腐敗、あるいは大統領の暗殺をもって米国およびアメリカ大陸全土を再び帝国主義の傘下へ引きずり込むべく死力を尽くしてきました。

ウォール街の存在がそれを実証しているのは言うまでもありません。政府の権限を認めず、市場主義を旨とし、米国内の政界およびあらゆる産業に介入し、国民すべてをアダム・スミスのいう「見えざる手」、即ち市場原理の虜にせしめる行いは米共和国憲法を真っ向から否定するものであり、1929年9月の株式市場の暴落に端を発する大恐慌の引き金にもなっているのです。

ドキュメンタリー「1932」はアメリカの知られざる素性と歴史的葛藤を明らかにし、現世界像を浮き彫りにするだけでなく、今我々が直面する世界経済危機に対処するための処方箋となるはずです。

歴史:アメリカと日本

ペリー提督が浦賀に訪れた1853年、米国は日本を開国し同盟を結ぶことで、アヘン貿易によりアジアへの植民地政策を目論む大英帝国を阻むことを目的としていました。明治時代の日本が、植民地としてではなく、近代国家としての道を逸早く歩むための指標となったのが、アメリカン・システムだったのであり、ヘンリー・ケリーの愛弟子であり、国際弁護士でもあるE. ペシャイン・スミスが、明治政府に、いわゆる“お雇い外国人”として雇用された事実からも窺えます。19世紀末期、アジアにてアメリカン・システムを最も意欲的に推進したのは孫文であり、辛亥革命後の中国経済の模範とするのです。

現在進められている“グローバリゼーション”もしくは“グローバリズム”といわれているものは、“自由貿易主義”の別名であり、本質的には大英帝国と蘭帝国の黒幕である一握りの財界のエリートたち(ウォール街は歴史的には派生的存在)による植民地時代の再来と、奴隷制、略奪、並びに恒久的紛争を意図とした政策なのです。

今日、アメリカン・システムを世界的に打ち出し、現在の世界経済危機を予報しつつ、解決策を処方し続けているのが、アメリカの政治経済学者リンドン・H・ラルーシュ Jr.氏なのです。今現在、彼のリーダーシップと先見の明を踏まえ、私たちは世界規模で、このアメリカン・システムの概念を広め、それには欠かすことの出来ない“富の根源”である“人の創造力”を生かし、育み、それを世界の国民と分かち合うための物理経済学に日々取り組んでいます。